とある科学の迎撃日記(パトブログ)

パトリオット(dj patriot)が気が向いた時に綴るブログです。

モテるための努力ってするべきなんだろうか?

3ヶ月ぶりの更新となりました、寒暖差に精神を地味にやられているパトリオットです。寒くなったり暖かくなったり、お天道様は気まぐれですなあ。

 

さて、それでは早速本題に入っていこうかと思う。

今朝TwitterでTLを眺めていたら「眉毛を整えろだの髪を整えようだの言われるが、正しいやり方を誰も教えてくれないじゃないか」というようなツイートが流れてきて、「いや、もしやる気があるのならやり方を必死に調べれば良いだけでは........?」と思ったのだが、そのツイートのリプやら引用RT欄やらを掘ったり、色々と関連する話題を検索していく内に非モテ叩きツイートやらオタク叩きツイート、チー牛叩きツイート(尚俺はあいつらの言うチー牛の定義がよく分かっていない模様)が山程目に入り、朝っぱらからBAD入るという「自傷行為」をまたしてしまった。何やってんだ俺は..........。前にも「不愉快な話題は検索しない」って決めたじゃないか!

いや、確かに俺も「調べりゃ良いじゃん」とは思うが、SNSで批判的な投稿を高頻度でする人って口が悪いことが多くて。。。見てて気分が悪い。。。

因みに大元の該当のツイートはこちら。↓

 

 

で、色んなツイートを見ていると、批判者のツイートは「調べろ」「モテたいなら努力しろ」「ありのままを受け入れてくれというスタンスだからモテないんだ」などといった意見が散見された。

で、いつもの「非モテVS非モテ叩き」の構図になっているという。

ここで思ったのだが、果たしてモテるための努力ってするべきなんだろうか?

 

 

モテるための努力はすべき?

俺は前々からずっと考えに考えを重ねてきたのだが、結論から言うと俺はモテる為の努力は必要ないと思っている。これにはそもそも、俺はモテたいとは考えておらず、「自分が好きな人の好きな人になれたら良いな」というスタンスだというのもある。

「モテる」と言うのは不特定多数の異性から人気を集めたり、チヤホヤされるということ。俺はそうではなく、あくまでも自分が好きな特定の人と結ばれたいという意思が強い。

不特定多数というのは、言い換えれば万人だ。

万人というのは、言い換えれば具体的な誰かではないということだ。

この「具体的な誰かではない」というのは「特定の人」の対になる概念だろう。

 

俺は努力とか云々以前に、「モテたい」.........つまり「万人から好かれたい」と思い、ましてやそれを公言してしまうのは良くないと思う。

何故ならそれは無関心そのものだからだ。

モテたいというのは言い換えれば「誰彼構わず好かれたい」、つまり正に「誰でも良いから付き合いたい」状態なのである。

現にTwitterでも「モテたいなら眉毛や髪を整えたり筋肉付けるなりしろ」という声があるが、もし俺のように「特定の誰かに好かれたい」という意思があるのであれば、別に必ずしもそれらのミッションを達成する必要はない訳だ。

何故なら眉毛・髪・筋肉等の問題は、一般論として女子ウケが良くなるという話であり、ほぼ全員の女子に好かれるであろうと思しき要素に過ぎないので、そういった万人に好かれたいのであれば整えたりするべきだが、特定の誰かに好かれたい場合、個人によってタイプの男性やら好みやら違ってくる。その人の好みに合わせてあげることが大事になってくる訳だ。要するに、モテたい人はラベリングをし、俺のような「好きな人の好きな人になりたい」タイプの人はラベリングをしない、ということ。

なので、現に俺は眉毛を整えていないのだが、もし俺に好きな人ができて、その人が「男性は眉毛を整えていた方が好き」だと思っているのであれば、俺は整えるつもりがある。これは決してモテたいからではなく、個人の好みに合わせて努力し、相手に合わせるため自身を変えるということ。

 

モテたい人は他人に対して無関心

で、さっき「無関心そのもの」と言ったが、これについてもう少し深掘りしていく。

万人に好かれたい...........つまり、誰でも良いから付き合いたいということを公言してしまうのは非常に危険だ。

「誰でも良い」というのを聞き手はどう受け取るか?きっと「ああ、この人は私じゃなくても良いんだ」「私(達)は替えが利く存在なんだ」と思うことだろう。

別に恋人にだけ特別な扱いをする凶暴な男になれ、と言っている訳ではない。交際する人間はちゃんと選べ、と言っているのだ。

関心とは興味を持つ、心を惹かれて注意を向けるということ。モテたい、つまり万人に好かれたいという気持ちに関心なんて欠片もないのは自明だろう。

そもそも万人に関心を向けるというのが不可能でもある。これは人間関係以外のことにも言えることだが、趣味にしろ勉学にしろ、自分の「関心のある」分野というのは絞るものだろう。

もうここまで書けば分かると思うが、つまりモテたいと公言している人は「あなた達に関心がありません」と言っているようなものなのである。

それってすごくドライじゃないか?

まあ、モテたいがために努力して異性と交際して、それがキッカケで相手に対して関心という意識が芽生える可能性もあるだろうが、基本モテたいと公言している人や、モテたいがために努力している態度が露骨な人はナンパ師のようにマイナスのイメージを持たれがちだと思うので、交際に至り尚且つ長続きするハードルが高い気がする。

 

第一印象について

これは身を持って感じたことなのだが、第一印象というのは長い間交際する前提であるならば大した問題ではないのだ。

俺は学生時代、「最初は好かれてたけど徐々に嫌われていく」経験と「最初はなんとなく嫌われてたけど徐々に好かれていく」経験の両方を積んでいるため、これはハッキリと言える。

最初のイメージは然程重要ではなくて、そこからどうやって挽回していくか、またはどうやって好かれた状態をキープできるかが重要なのだ。

モテたいがために容姿を整えて第一印象を取り繕ったところであまり意味を為さないのだ。

そういう人達が恋人をキープするには、やはり内面が重要になってくる気がする。

 

外見よりも内面が大事

俺は好きな人の好きな人になるために外見も整えようかな、という話を先程した。

勿論それも大事ではあるが、やはり同性異性問わず交際していく上で大切なのは人の内面ではなかろうか。

正直、外見よりも中身の方が10倍も20倍も大事だと思う。

なのでモテたい人達も、外見を磨くことも勿論突き詰めたければ突き詰めれば良いが、同じくらい内面を磨く努力をしてみては?と思う。

人は肉体や容姿は歳を重ねるにつれ衰えていく一方だが、人間性や精神の成長に限りはないと信じている。

実際、若い時は外見が、年老いてくると内面が重視されるという話は聞く。

そもそも生きていく上で、学校生活や社会生活を送っていく上で外見よりも内面が大切なのは言うまでもないだろう。

 

蔓延るルッキズム

Twitterを見ていて思ったのだが、どうも身嗜みやら容姿やらでマウンティングしたいと思ってそうな人がちらほらといて、「ああこいつらのせいでルッキズムが無くならないんだろうな」とも。

個人の可愛くなりたい、カッコ良くなりたいという意思は尊重されるべきだが、その価値観を他者に押し付けたり、容姿で差別するようなことはあってはならない。

モテたいがために容姿を改善するよう努力することも、ルッキズムを助長してしまう一因になる気がする。ぶっちゃけると特定の人に好かれるために容姿を改善するのも含めて。

そういう意識は極力無くしていきたいところではあるが、まあそうは行かないのだろうな。特に若者。

 

自分らしさも大事

モテるために人に合わせることも大事だが、自分らしさも大切にして欲しい。

たとえ好きな人の好きな人になるにしても、ありのままの自分を受け入れてくれ!とまでは言わなくとも、ある程度自分の個性を尊重してくれる人と交際した方が良いんじゃないかなと。

先程書いた眉毛にしても、自分が「俺はどうしても眉毛を剃りたくない!」と思うのであれば、そういう意思を尊重してくれる人と付き合うのも1つの手だ。

まあ、既に書いた通り「ありのまま」を受け入れることは難しいことなので、相手に合わせつつ、自分も合わせてもらいつつ、って感じの交際がベストなんじゃないかね。

 

終わりに

まあそんな感じでまた相変わらずダラダラと書いてしまったが(これでも簡潔にまとめた方)、俺が言いたかったことは以上です。

モテたいという意識やルッキズムは無くなった方が良いと思うし、逆に、自分も相手も尊重するアサーティブさや内面の努力はずっと大切にしていきたいし、同性異性問わず交際やコミュニケーションは人々の生活には欠かせないモノなのでどうやって向き合っていくかも考えなくちゃならないし............。

ちょっと色々と詰め込み過ぎたかな?

 

はい、という訳でここで一筆置かせてもらいます。

 

因みに俺もできれば交際からの結婚をしたい願望があります。

素敵な人との出会いがあると良いのだが..............。